「死を想え Memento mori」  「生きる理由」   さかもと未明

 父は普段はとても良い父だが酔うと母を殴る蹴ると酒乱の癖があった。母は辛いからいつもムカムカしたような

顔をしている。子ども達は喋れない分、ぜんそく、偏頭痛、登校拒否などで自己主張しました。

 女性の自立が私位の世代からはやってきた。これからの女性は働いていろいろな事をやればいいとか、女性の

新しい生き様が開かれると、とても良い事のように母から聞いた。私自身も母の苦労する姿を見てきて、ごく普通

にお嫁さんになり子どもを産むことに夢がもてませんでした。

 大学は行かなくていいと随分もめ、土下座させられた。絵が好きで本当は美大に行きたかったが、「すぐ現金に

なるような勤めをして普通に子どもを産んで」といわれ、英文科に行った。絵を描きたい衝動を抑えきれず、親が言

う通りに生きられないことへの葛藤があった。とりあえず就職したが、その頃から神経症状が出てきた。親からは「

甘えだ、困る」とお金を出してもらえず保険証を取り上げられた。ひどい拒食症で38kgになりショック症状で動けな

くなり会社を辞めました。

 家には帰れないしお金は無いし、赤坂見附の連絡通路で半日泣いていた。うつ病の薬を飲んでいたので、ギリギ

リの判断力がある所で考えた。このまま働けないのなら死んでしまおうか、それとも徹底して自分のやりたかった

道をやろうかと。

 私は若い時から周りに人が死ぬという体験をいっぱいしている。親や周りの人は丈夫な時は「遊んでばかり」と怒

るが、死んでしまうと生きてさえいてくれればと。

 結局五体満足のうちに出来るだけのことをしよう、小さい時から思っていた漫画家になろう、とその時突然決めた。

生まれ変わったように頑張り始めました。

 3年位は持ち込んでは出版社に断られ、睡眠不足で倒れることを繰り返した。

 水商売をちょっとやっていた時にボーイフレンドが僕のお嫁さんになって漫画をかけばと言ってくれた。彼のご両

親が本当に優しい人で、私は家庭がこんなに明るく幸せなものだと初めて知りました。

 3年後デビュー。どんどん仕事も来て主人の年収を越えるとうまくいかなくなった。やっぱり僕のお嫁さんはごく普

通に僕の後ろについてきてほしいと。それで家を出ました。

 その時にご両親が家の養女になってもいいから出て行かないで、と言ってくれたのが本当にうれしかった。人の気

持ちの温かみに触れた時、私は本当に最初の漫画がかけたのです。フワーと自分が変わったなという体験をした

のです。当たり前の小さな事が大きく人生を変えていく。心を込めて毎日生きなければ、と思いました。

 今は女性に優しい時代といわれるが、父親は娘に普通の結婚を望み、母親はそれと同時にただ家庭の中で終わ

ってほしくないと思う。男性は自分の為に奥さんが家で帰りを待っていてと思う。現実の感情問題と女性の自立が

拮抗して若い女の子は悩んでいます。

 かといえば専業主婦の人はそれを誇れないでいる。寂しいことです。外に出て働くことだけが、女性の自立ではな

い事をまず女性が気がつかなければいけない。私が多少自立しているように見えたとしても、やっている事は大根

刻んでいるのと同じなのです。

 心を伝えるというのは時間をかけて。大根刻んだり箸の持ち方はどうだとバカバカしいことを毎日言ってあげない

と人間は育たない。この事を大多数の人が忘れようとしています。

 人生は不自由、病気、暴力、戦いなどを引き受けてうまく付き合っていく。悪いものをどうやって皆で乗り越えよう

かと、女の人は一歩引いてちょっと我慢することでもっと豊かな物を作るかもしれない。男の人もそういう女の人を

認めてあげて頂きたいです。    (おわり)

さかもと未明さん

漫画家。レディースコミック誌を中心に10数本の連載を抱える売れっ子作家。鋭い心理描写とダイナミックな描線、

そしてユーモアのあるせりふ運びに定評がある。「ゆるゆる」「まんがギリシャ神話、神と人間たち」など。

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