「死を想え Memento mori」  白石かずこ(しらいしかずこ)

 私は古希を迎え、今93歳の母の介護をしています。去年私の大事な女友達3人が亡くなりました。

 尊敬する深沢七郎さん、森茉莉さんとは仲良くお付き合いさせて頂きました。

深沢さんは小説「楢山節考」がハンガリーの人達に喜ばれ、家も土地も用意するからいらっしゃいという話があり、

身辺整理して行こうとした時に心臓病がわかり、行けなくなったことがありました。床に伏すことが多くなり、私が

「大丈夫ですか、深沢さん」と言うと、「大丈夫だよ、死ぬまで生きてるよ」と言い、私は不思議に安心しました。昔、

日劇のミュージックホールでギターを弾いていたので歌もうまく、自分が死んだらお経も自分で唱えて、音楽も自

分がつけたテープがあるからと言いました。最期は藤棚の下の椅子に座ったまま亡くなっていました。

 森茉莉さんは、「パッパがねー」と鴎外が生きているかのようによく話してくれました。私の家で遊んで夜遅くなり、

泊まるよう薦めると「泊まるわけにはいかない。あの部屋に帰ったら一行だけど小説がかけるのかもしれない。私

はあとどの位あのアパートの部屋で過ごせる分らない」と言いました。私は二度と「泊まっていったら」と引き止め

ることはありませんでした。亡くなった時私はドイツにいました。デュッセルドルフより少し山の手の方で、とても保

守的で人種差別がまだありました。「鴎外ほど誇り高い人はさぞ心が傷ついたでしょう」と噂をしていた時が、ちょう

ど茉莉さんが亡くなった時でした。誰もそばにいなくて新聞が外にたまっていて、茉莉さんが以前私の弟に自分が

どのように死にたいか話していた通りになってしまいました。

 去年の5月友達の矢川澄子さんが突然自殺しました。なぜーと心が痛みました。死亡通知が新聞に載った日に

彼女のエッセー集が届きました。こんなに良い出版社からどんどん本が出る―普通からすれば恵まれているの

に何てことをしたのと、私は半年間頭から離れませんでした。  人間はエゴイズムで生きると孤独になるが、人を

助けることに喜びを感じたら孤独にならないと思います。私は美容院等どこに行っても若い女の子と友達になりま

す。人間はどんな状況の中でも努力して幸せになります。

 12月に詩人の吉原幸子さんが亡くなった。激しい性格で、初めて会った私をいきなり寿司屋に連れて行き、お酒

を飲みながら自分がどんなに失恋したか、わあわあ泣きながら一部始終説明した。彼女は女性が好きで、私が

初恋の人に似ていたらしく、ネコがじゃれるようにすっと寄って来て「かずこ、男と別れる時は言いなさい、私が慰謝

料を払ってあげるから」とよく言いました。

 1月に亡くなった多田智満子さんは知的で品位がありました。がんが肝臓に転移し、「死ぬというのは初体験です

からね」と小鳥が歌うように言いました。泰然として「式は好きなバラにする」と言って亡くなりました。

 今鍼治療にかかっています。頭脳がどんどん明晰になっていくらしいのです。60近くなってから俳句を始めました。

年とってから勉強すると、一を聞いても百を知るというように、ほんの一瞬にいろいろなことが理解でき、若い頃には

見えなかったことが、見えてきます。今のところ、勉強することがエクスタシーです。人間らしく生きるにはいろいろ

なものが必要で、あらゆることを自然に受け入れて、年とった時にどういう死に方をするか、己の方向にいけたらい

いですね。 (おわり)

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