「死を想え Memento mori」  山野井 泰史(やまのいやすし)

 物心ついた頃から冒険に大変興味があり、たまたま見たテレビのドラマでヨーロッパアルプスを舞台に氷河や

岸壁を登る場面を見て衝撃を受け、将来ずっとこれをやっていきたいと、一目惚れに近い状態だった。それ以来

25年近く怪我や病気以外は常に登っている。

 初めて登ったのは小5の時で、日本で2番目に高い北岳という南アルプスの山に一人で登った。台風が来てお

り景色は一つも見えなくて、それでも山頂に着いた時は特別な感動があったわけではないが、僕にとても合った

場所だなと感じた。山に来てよかった、すばらしい世界だと思った。

 中3の時図書館に行くと言って家を出て、近くの山で墜落して全身打撲で血まみれになって帰ったら、さすが親

父が怒って山をやめろと言った。その当時から山をとられる位なら死んだ方がいいと思った。それから2〜3年は

反対したが、それほど情熱があるならとそれ以来止めることはなかった。今は応援してくれている。

 高1の時谷川岳に一人で登った。谷川岳は世界で最も多くの人が亡くなっている山だが、親にも友人にも言わ

なかった。死ぬかもしれないと漠然と感じていた。週末になると恐怖がわいてきて、もしかして戻ってこないかもし

れないと、家の中を片付けた。だけど毎週のように行った覚えがある。

 旅行と同じで一番楽しいのは計画段階だ。わくわくする。いろいろなイメージをする。でも登る前は全身恐怖で、

できれば行きたくない、明日雪になってくれればいいという感じだが、追われるように上に向かっていくとだんだん

恐怖心がなくなりリラックスして、山頂に近づくとやっぱり僕の居場所だという感覚になる。本能でしょうか。子ども

が木に登るように、高い所から眺めるのは気分いいのだ。

 一人で行くことが多い。時々外国の人と組んだり、友人、妻と登るが、計画段階でまず一人でできるかどうか考

える。昔から物事を決める時は一人で解決してきた。

 山頂近くになるととても気分が良くなってくる。8千近くになると酸素が3分の1になり気温マイナス30度風速30と

厳しい状況だが僕にはとても気持ち良い世界だ。それが第3者がいることでどうしても会話がもたれる。最高の気

分の時を遮断されたり侵されるようでできることなら一人でその状況を味わっていたい。実際向こうの山で小さな石

が欠けても目に入るし、何もかも感じられる。  4年前妻と行った8千の山で雪崩に遭った。上でがーんという音が

して、数秒後すごい衝撃で二人とも飛ばされた。300〜400落ちながらその時はあまり怖くなく、こうやってクライマー

は死んでいくのだなと漠然と思った。2位深い所にもぐって、手足は動かず口の中には氷が詰まって数分で酸欠に

なり死ぬ状況だった。その時すごい恐怖だった。諦めていない人間にとって死ぬことはとても怖いことだった。

 凍傷で右足の指は全部ない。今までより力が加わらないからレベルが下がることに、アスリートとして我慢でき

るかと言うと難しい。でも心の底から山登りが好きだから、将来もしかしたらハイキングしかできないかもしれない

が一生登り続けたい。小5から始め、1日たりとも山を忘れた日は無い。常に山を追いかけている。それはすなわち

1日たりとも死を考えない日は無いということだ。皆さんも1日1回は考えたらどうでしょうか。 (おわり)

 →戻る