「死を想え Memento mori」 「生きる理由」   養老 孟司(ようろうたけし)

 私は20歳から37年間東大で解剖をやってました。ある時思い立って辞めた。外へ出たらびっくりしました。世の中

こんなに明るかったのか、と。辞める時に2年先輩の教授から、「ここは我慢会だからな」と言われた。日本の勤め

は我慢会なのですね。一番我慢した人が一番偉いのです。学校の卒業証書もそうです。ちゃんと年数だけ辛抱で

きた証明書なのです。

 2年経って初めてまた東大に行った。おれ確かにここに勤めていたことあるなーと思った。まさに前世の感覚なの

です。福沢諭吉は「一身にして二世を得る」、つまり一つの体だけど二つの時代を生きた、と言っています。昔の仲

間が昔通りのことを話すのを聞いていると、自分が二人いてその中に入っていく自分と入っていない自分がいる。

周りも辛抱していると、我慢会だけが人生じゃないとなかなか気がつかない。辞めた瞬間に世界が明るくなったの

は、そういった辛抱が全部消えたからであります。

 よく外国に虫捕りに行きます。すると、教授が虫捕りに行ってテレビに出ている、といって事務に怒られる。出張届

は出ているが虫捕りするとかテレビに出るとかは書いてないと怒るのですね。それを詰めていくと、出張先でどこに

泊まって……と全部報告するのかなと思っていた。そしたら最近段々それに近くなってきた。国家公務員倫理法が

できましたね。

 解剖させていただく方は生前約束してあり、亡くなったらいつでも引き取りに伺う。元旦の時もありました。埼玉県

の病院で、婦長さんがあわてて「元旦に最初にエレベーターを降りてきたのが死人では病院では具合が悪い」とい

う。非常階段は箱が長くて相当な技術がいるのですよ。ある団地では、棺がエレベーターに入らない。仕方ないから

今まで寝ていた方に立っていただいた(笑)。

 この建物は人が死ぬことを考えないで作ったと思いました。要するにある時から人は死ななくなったというのが私

の感じです。予測と制御というか、予めこうなるというルートに沿って今やることを調整する。その典型がロボットと

ミサイルです。

 で、人間はそうか、と私は聞きたい。死ぬまで何をするか決まっていない。それが生きるということですが、現代生

活では定年になったらどうするか、とかかなり前から準備している。そういう生き方を見ていると、ひょっとしてあの人

はロボットに生まれた方が幸せだったのでは、と思うのです。

 人は変わります。自分が何10年か生きてきた世界が前世に思えるのは素直な感覚です。どうして前世かというと

色が付いていない。今私が生きている世界はものすごく明るい。ちょっと生活を変えてみると色付きだとと思ってい

た世界が実は白黒だったことに気がつく。その感覚が日本は特に強い。それを補強しているのが世間です。自分

より周囲の考えに従って行動する。私は官僚の世界で長いこと我慢会をやったお陰で、腹の底は違っていても表

面は合わせられる癖がついた(笑)。

 私は小学校2年で終戦で、戦前の教育がポッチリ入っている。大人は食い物の始末で大騒動で、子どもは放っ

て置かれた。こんなに子どもらしく育った世代はない。

 次の世代は50代前半、全共闘です。戦後の典型的な民主主義教育を受けた。正義感が強い一方殺人が多い。

 40代以下で典型的なのは上祐さん。全く意味のないことをダーと言える。今の新聞は大事なことを言わないため

に一生懸命いろんなことを言う。もし本音を一言でも言うと大騒動ですから今は。学者にも目立ちますね。

 世の中が違った人達によって作られると多分違ってくるでしょう。違ってきた世界を見たいような気もするし大して

見たくないような気もします。          (おわり)

養老 孟司さん

 1937年生まれ。鎌倉市出身。東大医学部卒。解剖学者。北里大学教授。「唯脳論」「からだの見方」など著書多数。

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