臨済宗本鏡山
常福寺

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常福寺ライブ

常福寺では、1992年より「死を想え-メメントモリ-」をテーマに春・秋の年2回講演会と演奏会を開催してきました。
お寺という特別な空間での講演会と演奏会にぜひ、足をお運びください。

常福寺ライブ-be-
メメント・モリ

2025年4月5日(土曜)
           
●第一部・講演会
13時〜
要予約・無料
●第二部・演奏会
開場18時 / 開演18時半
要予約・3,000円

ご予約は、046-251-5530(常福寺)まで

第一部・講演会

八島良子
Ryoko Yashima

1993年広島県江田島市生まれ。武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科修了後、尾道市の離島・百島を拠点に作家活動を行う。2019年より自らの手で豚を育てて屠畜し食べるプロジェクトを開始し、24年に著書『メメント・モモ』(幻戯書房)を出版。三菱ケミカルジュニアデザインアワード2015都築響一賞、茂木健一郎賞、第19回文化庁メディア芸術祭アート部門審査委員会推薦作品。17年より非営利ギャラリー「ART BASEMOMO SHIMA 」の企画運営も行っている。
https://ryokoyashima.com/

山内若菜
Wakana Yamauchi

1977年神奈川県生まれ。99年武蔵野美術大学短大学部専攻科美術専攻修了。以来国内外で個展、グループ展を中心に活動。2007年より文化交流コムソモリスクで個展を開催継続。東日本大震災後の13年より、福島県内の被ばくした牧場での取材を開始する。16、21年原爆の図丸木美術館(埼玉)で個展。16年から中学校、高校、大学などで命の授業・展示講演会開催、現在21校。21年、東山魁夷記念日経日本画大賞展入選。24年、旧日銀広島支店個展、第五福竜丸展示館個展。
https://wakanayamauchi.com/

寺脇研
Ken Terawaki

1952年福岡市生まれ。高校時代からキネマ旬報「読者の映画評」に投稿し、白井佳夫編集長の指導を受け、75年から映画評論家として活動。同年、東京大学法学部卒業後、文部省へ入省し教育行政、文化行政を担当しながら映画評論執筆を続ける。06年退官後は、京都芸術大学、日本大学芸術学部等で映画を学ぶ学生を指導。12年から映画製作に携わり、『戦争と一人の女』、『子どもたちをよろしく』、『天上の花』などをプロデュース。著書『韓国映画ベスト100』『昭和アイドル映画の時代』など。
https://x.com/ken_terawaki

第二部・演奏会

仲野麻紀
Maki Nakano

2002年渡仏。パリ市音楽院ジャズ科修了。即興とサティの楽曲を取り入れた「Ky」、多国籍バンド「Bala Dee」、モロッコ・スーフィー教団楽士+フリージャズのプロジェクトなどを並行し、ジャズとワールドミュージックを横断する。09年から「open music」を主宰し、16年、トラッド・ミュージシャンたちとの演奏を綴った『旅する音楽』(せりか)で第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。21年多重録音による初のソロアルバム[openradio』、23年渋谷毅との『アマドコロ摘んだ春〜Live at World Jazz Museum21』をリリース。
https://plankton.co.jp/nakanomaki/

大口俊輔
Shunsuke Ohkuchi

作曲家・鍵盤奏者。英国留学中、音楽教師の薦めで音楽を始める。帰国後、東京芸術大学入学と同時に、チャンチキトルネエドのメンバーとして活動開始。卒業後は、演劇、ファッション、映画、絵画、TV等への楽曲提供、演奏多数。最近は、自宅のセルフリノベーション、妻のアパレルプランド「tao」のショー音楽制作、娘の小学校で本読みとアコーディオン伴奏など行う。2024年には、大友良英スペシャルビッグバンドのヨーロッパツアーを経験し、現地の前衛音楽とそれを取り巻く環境に大きな影響を受けた。

福永千鶴
Chizuru Fukunaga

東京藝術大学音楽学部邦学科卒業。同大学院にて博士号取得。小鼓と声を中心とする演奏家。古典邦楽の舞台での演奏を軸に、坂田明「平家物語」、谷川俊太郎をはじめとした詩人と同世代のミュージシャンによる「VOICE SPACE」、声優による朗読劇VOICARION「信長の犬」、唐組の俳優との朗読劇、松尾スズキ「ニンゲン御破算」などに参加。朗読幻奏主宰。大河ドラマ「べらぼう」他。近年は、大口俊輔、中山晃子、志人と物語と音楽の創造を行なっている。東京藝術大学にて博士号取得。

ダンス / 山田せつこ氏

現代音楽 金沢健一氏(彫刻・演奏)永田砂知子氏(演奏)

常福寺ライブは22年目を迎え、現在までに舞踏、現代音楽、講演会を中心に35回開催されてきました。
寺と現代芸術という、一見ミスマッチと思われる取り合わせは、「臨済禅と現代芸術」というように視野を狭めたとき、大きな意味合いが生まれます。

意味の判らない話のことを一般的に「禅問答のような」と表現いたします。

「言葉」は便利な道具である反面イメージ的な制約を作るため、体験した感覚をそのとおりに伝えようとするときには逆に障害にもなります。
禅語の中には「八角の磨盤空裏を走る」等という意味不明の言葉が有ります。二元対立的な科学的思考では理解されない活き活きとした感覚がこの言葉には含まれています。
芸術は鑑賞されるものであるとともに、作る側にとっては究極的な自己究明の結果の表現だと信じております。
また現代芸術と呼ばれるものの一部は大変禅的な要素を多く含みます。それは表現されるものの余分な形式を省き、極限まで本質を端的にシンプルに表現していこうとする姿や、私たちが日常的に使用している慣用的表現方法に捕らわれまいと努力する姿等にみられます。 これは正に禅ではないでしょうか。
禅はある意味においては自己究明の場です。その結果得られたものを過去の偉大な禅師たちは墨跡や庭などの芸術という型に変えて現代に伝えています。

私たちに植え付けられた科学教ともおもわれる理解の枠を超え、言葉という限定された表現方法を超え、活き活きと表現される現代芸術を、本来そうであるべき禅の寺で体験するとき、何とも言えぬ一体の雰囲気を感じることが出来るはずです。
本堂の扉を全て外し、外界と一体と成った雰囲気の中で、5分程の坐禅を行い、呼吸と心が落ちつき空間と観客が一体に成り微妙なものを受け入れられる状態になったところから公演が始まります。
一切の説明を省き、そのものに直接触れる禅寺での一時を、是非多くの方が体験されることを期待致します。