常福寺ライブ
常福寺では、1992年より「死を想え-メメントモリ-」をテーマに春・秋の年2回講演会と演奏会を開催してきました。
お寺という特別な空間での講演会と演奏会にぜひ、足をお運びください。
常福寺ライブ-be-
メメント・モリ
2026年4月4日(土曜)
お電話にてご予約下さい。
第一部
13時から 無料
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13時〜 石田優子氏
14時〜 土井裕泰氏
15時〜 立花珠樹氏
16時〜 三氏パネルディスカッション
第二部
開場18時/開演18時半
料金3,000円
+ 終演後会食1,000円(希望者のみ)
一部・講演会
石田優子
Yuko Ishida
1978年東京生まれ。慶応義塾大学卒業。在学中から佐藤真に学ぶ。漫画家・中沢啓治の被爆体験を記録した「はだしのゲンが見たヒロシマ」(11年)が初監督作品。第17回平和・協同ジャーナリスト基審査員特別賞などを受賞、国内外で上映される。他に「はだしのゲンが伝えたいと」(11年)など。25年、広島の被爆樹木を守る樹木医の活動や被爆者の証言などを取材した「新版 広島の木に会いにいく被爆樹木が見る未来」(偕成社)を発表。被爆樹木のドキュメンタリー制作を継続している。
土井裕泰
Nobuhiro Doi
1964年生まれ、広島県出身。88年にTBSに入社し、ドラマのディレクターとして「愛していると言ってくれ」(95)、「青い鳥」(97)、「Beautiful Life」(00)、「GOOD LUCK」(03)等、数々のヒット作を手掛け、04年には「いま、会いにゆきます』で映画にも進出。以降、テレビドラマ、映画に『涙そうそう」(06)、『映画ビリギャル』(15)、『花束みたいな恋をした』(21)、『平場の月』(25)、ドラマに「カルテット」(17)「スロウトレイン」(25)など。26年4月より世界配信のNetflixシリーズ「九条の大罪」の演出も手がけている。
立花珠樹
Tamaki Tachibana
1949年、北九州市生まれ。一橋大卒。74年共同通信社入社。ニューヨーク支局などを経て、90年代初めから映画記者に。黒澤明、三國連太郎、渥美清、高倉健ら多くの映画人を取材。ロングインタビューや名画の魅力を紹介するコラムを、現在も書き続けている。著書に、「岩下志麻という人生」(共同通信社)、吉永小百合と共著の「私が愛した映画たち」(集英社新書)、「女と男の名作シネマ」(言視舎)など。新著「映画から世界がみえてくる―『いま』を呼吸する新作と名画」(仮)を3月に言視舎から刊行予定。
二部・演奏会
その昔、バンド『マライア』を立ち上げて時代を刻むと、「北京の秋」を出して、ポリス・ヴィアン現れたかと、前衛音楽界の度肝を抜いた清水靖晃に、在日し続けて「サンプリングの世界王者」の名を欲しいままにするカール・ストーンが顔合わせした!両者のライブが常福寺で実現した希少ライブ!
清水靖晃
Yasuaki Shimizu
作曲家、サキソフォン奏者、音楽プロデューサー。1990年代後半、J.S.バッハ《無伴奏チェロ組曲》をテナー・サクソフォンのために編曲する革新的な試みで注目を集め、(バッハ/サクソフォン/スペース)の三角関係という独自のコンセプトのもと、地下採石場や美術館などでの録音や演奏を展開。サキソフォネッツ名義では、パッハ作品のほか、五音音階を基にした「ベンタトニカ」(07年)などを発表。他アーティストとの共演・プロデュース、映画やテレビドラマの音楽制作など、活動は多岐にわたる。2010年代半ば以降、レコード文化の再興とともに、80年代の『案山子」やマライアの『うたかたの日々」が欧米で再評価され、18年に欧州6カ国ツアーを実施。25年には北米6都市を巡るツアーを行い、同ツアーは全公演ソールドアウトを記録した。
カール・ストーン
Carl Stone
現在のコンピュータミュージックの先駆者の一人であり、ヴィレッジボイス誌は『サンプリングの王者』『現在のアメリカで最も優れた作曲家の一人』と賞賛している。1986年からライブパフォーマンスでコンピューターを使用する。ロサンジェルスで生まれ、現在はロサンゼルスと日本を拠点に活躍。カリフォルニア芸術大学で、Morton Subotnick、James Tenneyに師事し、72年から電子アコースティック音楽の作曲を始めた。その作品は、アメリカ・カナダ・ヨーロッパ・アジアなどで演奏されている。日本の中京大学工学部メディア工学科の教授を22年間勤め上げる。現在は演奏、作曲、ツアーを勢力的に行い、世界中で活躍している。大友良英、高橋悠治、清水靖晃、田中悠美子、渋谷慶一郎、内橋和久、桜井真樹子、恩田晃、高橋アキ、山崎アミ、他とコラボレーションする。

ダンス / 山田せつこ氏

現代音楽 金沢健一氏(彫刻・演奏)永田砂知子氏(演奏)
常福寺ライブは22年目を迎え、現在までに舞踏、現代音楽、講演会を中心に35回開催されてきました。
寺と現代芸術という、一見ミスマッチと思われる取り合わせは、「臨済禅と現代芸術」というように視野を狭めたとき、大きな意味合いが生まれます。
意味の判らない話のことを一般的に「禅問答のような」と表現いたします。
「言葉」は便利な道具である反面イメージ的な制約を作るため、体験した感覚をそのとおりに伝えようとするときには逆に障害にもなります。
禅語の中には「八角の磨盤空裏を走る」等という意味不明の言葉が有ります。二元対立的な科学的思考では理解されない活き活きとした感覚がこの言葉には含まれています。
芸術は鑑賞されるものであるとともに、作る側にとっては究極的な自己究明の結果の表現だと信じております。
また現代芸術と呼ばれるものの一部は大変禅的な要素を多く含みます。それは表現されるものの余分な形式を省き、極限まで本質を端的にシンプルに表現していこうとする姿や、私たちが日常的に使用している慣用的表現方法に捕らわれまいと努力する姿等にみられます。
これは正に禅ではないでしょうか。
禅はある意味においては自己究明の場です。その結果得られたものを過去の偉大な禅師たちは墨跡や庭などの芸術という型に変えて現代に伝えています。
私たちに植え付けられた科学教ともおもわれる理解の枠を超え、言葉という限定された表現方法を超え、活き活きと表現される現代芸術を、本来そうであるべき禅の寺で体験するとき、何とも言えぬ一体の雰囲気を感じることが出来るはずです。
本堂の扉を全て外し、外界と一体と成った雰囲気の中で、5分程の坐禅を行い、呼吸と心が落ちつき空間と観客が一体に成り微妙なものを受け入れられる状態になったところから公演が始まります。
一切の説明を省き、そのものに直接触れる禅寺での一時を、是非多くの方が体験されることを期待致します。
